2017年2月12日日曜日

伊藤英子を虜にした百人一首


勉強していた当時はあんなに大嫌いだった百人一首ですが、なぜか今頃になって、百人一首の良さに目覚めてしまった伊藤英子です。どうして勉強している当時にその良さを感じ取ることが出来なかったのか・・・と、今更ながらに後悔しています。のどもと過ぎればあつさを忘れるという事なのでしょうか?勉強している当時は、とにかく暗記しなくてはならないという、焦りや、やらなくてはならないという使命感から百人一首を捉えているので、その良さに気付くことができなかったのでしょう。今はゆとりがあるからこそ、見えてくるものがあるのかもしれません。百人一首の中にはよく花が登場してきます。その花の多くは、桜を意味するのです。そうです!伊藤英子の一番大好きな花です。昔から日本人にとって桜の花は特別な存在だったのでしょうね。そしてその桜の花から、華やかさや、儚さをたとえたりしているのです。なんだかとてもロマンチックで素敵です。それに、ものの言い回しがとても奥ゆかしくて素敵です。今では日本語を短縮してしゃべる人が多く、さもそれが当たり前のようになってきていますが、百人一首の時代ではその日本語独自の言い回しから、直接的ではない、間接的な言い回しで物事を表現したり、五七五七七という短い歌の中に、その何倍もの言葉で言い表さなくてはならないほどの気持ちを込めていたりするのです。その意味を今になって考えて見ると、あー、なるほど。そういう気持ちでこの歌を詠ったのだな・・・と、共感する気持ちも目覚めてくるのです。昔も今も時代こそ違いますが、感じる心、憶える気持ちは同じなのですね。時代を超えた交流ができるようで、伊藤英子は今百人一首の虜になっています。

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